こんにちは。
キウイズムです。
今日は結婚してから時間に対する意識が変わったというお話をします。
時間は有限である
こんな当たり前のことに気づいたという愚かな人間の話です。
一例として結婚してからはサービス残業というものを絶対にしなくなりました。
サービス残業が生み出す「やりがい」
若い頃は任された仕事を意気に感じて能力が足りない分をサービス残業で補うというようなことをしていました。
経験者はわかると思いますが、サービス残業というのは意外と本人としては充実感を感じます。
*もちろん心身を壊すようなレベルではなく、程よいレベルでの話です。
・給料以上の仕事をした
・自分に打ち克った
・限界を越え成長した
こういった本人の満足感に上司の賛辞や苦労を共にした同僚との飲み会なんかが加わってくるとこりゃあもうたまらんってわけです。
これが俗に言う「やりがい」というものの正体です。
周りを見てみるとこの「やりがい」というのが仕事をやる一番の理由になっている人も少なくないように感じます。
仕事に求めるものは人それぞれですが、「やりがい」を持って働いている人は魅力的に映ります。
「やりがい」を諦める
私の場合は結婚したことでそれが一番でないことに気づきました。
時間は自分だけのものではない
ということを念頭に置いて行動の優先度を決定するようになったからです。
「やりがい」を諦めたのです。
自分の時間をどのように使っていくかを常に計算するようになりました。
仕事選びも自分の時間をどう使えるか計算してそれを基準にする。
ある意味セコイ人間になったと思いますし、掛け値なくどんな人のためにも時間を使えたりする人をみると少し恥ずかしいような気持ちになります。
「周りはサービス残業をこなして能力も上がってバリバリやってるのだから自分もやらなければいけない。」
そんな気持ちもありましたが
「自分はそれ無理っす。」
と開き直りをもつことで自分の時間の使い方を真剣に考えるようになり人生の幸福度が上がりました。
*この「無理っす。」的なニュアンスがポイントだったりします。
時間=命という等式
自分が愚かだと思ったのはこれらのことに結婚してから気づいたからです。
独り身であろうと自分の時間というものは尊いものなのでもっと大事に時間を使うべきだったなと思っています。
「やりがい」のために時間を使ったのは正直失敗だったと今では言えます。
もし昔の自分と同じように
「周りはなんか頑張ってるけど自分はそこまで頑張れないし。。」
と思っていてそれを恥じている人がいたら
恥ずべきことではないし、それをきちんと周りに言えたらすごく誇らしいことである
と伝えたいです。
かの有名なホリエモンもこう言っています。
「時間は命だ。」
時間の尊さを表すシンプルで素晴らしい言葉だと思います。
いま自分が感じている「やりがい」が時間=命をかけるに値するか?
常に自分に問わなくてはいけないのかもしれません。
それでは今日はこの辺で。
お付き合い頂きありがとうございました。