さえずるキウイズム

一児の父が大人になるため考えたことや子育て、健康についてピーピーさえずっています。

「無知」と「関心」のコンボはなかなかつらい

こんにちは。

ウイズムです。

 

本日は「無知」と「関心」のコンボはなかなかつらいという話を。


結婚や子育てについて最近では多様な考え方を認めようという風潮も少しずつ出てきていますが現実にはまだまだだなと思います。

周りの妙齢女子の話をきくといまだに親や身内に
「結婚はまだか?」
「子供の顔が見たい」
と言われるのがお決まりみたいですね。
言う本人に悪気がないのが結構厄介だったりしますよね。。

 

男性の場合はこれを言われてもヘラヘラしてごまかせますが
女性の場合はとても傷つく言葉になりかねないですよね。

 

こうした問題に限らずLGBT過労自殺といった問題についても背景には

「男女はこうあるべきだ。」
「仕事は多少つらくても頑張るべきだ。」

といった「べき論」があるのではないでしょうか。
現代の呪いの一つと言えそうです。


なぜこうした「べき論」を相手に押し付ける人がいるか?
一つは単純に「無知」が原因なのかなと思っています。

先の例でいうと
・結婚をそもそもしたくない
・子供は欲しいが事情により産めない
・子ども自体欲しくない

といった様々な考えや

・結婚してなくても幸せに暮らしている人
・仕事や事業が生きがいだから子供は不要な人
・結婚という制度が暮らし方に合わない人

こんな風に色んな人がいるということを知らないもしくは理解できていない。
それがまず第一だと思います。

 

第二には「関心」があります。

「愛の反対は無関心」という有名な言葉があります。
人は愛ゆえに「関心」をもってその人に接していきます。
愛をもって自分の良いと思うものを押し付けてしまいます。

 

しかし「愛」とは受け取った側の言葉であるべきだと私は考えます。

「○○の為を思っているからこそ。」
「愛を持って接している。」
これらは思っていても自分で口にしてはいけません。
「関心」を「干渉」と感じる人もいるでしょう。


人と人の距離感は微妙なバランスで形成されます。
身近で親しい人だからこそ「無知」と「関心」だけを持って接してはいけないのです。


それでは今日はこの辺で。
ありがとうございました。