さえずるキウイズム

一児の父が大人になるため考えたことや子育て、健康についてピーピーさえずっています。

「父乳が出ればなぁ」と思うこともあるけれど

「男の人にはわからないよね」

 

これを言われてしまうと大抵の男性は「お、おう」という反応しかできないのではないでしょうか。

 

それでも何もわからない男だからこそ力になれることはあります。

 

「父乳が出ればなぁ」と思うこともあるけれど

男は生理も来ないし、出産もできません。母乳だって出ないから、夜な夜な赤ちゃんに起こされる授乳の大変さを経験することもできません。

 

それでも「男の人にはわからないよね」なんて言われてしまうと悔しくなって「そんなことない、男だって育児の大変さはわかってる」と張り切ってこどもに接します。

 

しかしこどもを可愛いがれば可愛がるほどに気づくんです。やはり母親との関係は特別だということに。

 

ちょっと落ち込んで、「母乳ならぬ父乳が出ればなぁ」なんてくだらないことを考えたりします。

 

「男にはわからない」というのはまったくもってその通りで、男であることで知りえないこと、経験できないことは数多くあります。

 

しかし、それを諦めの言葉として捉えるのではなく、「何もわからないからこそ力になれるのではないか」と考えることはできます。

 

きっかけは出産後の妻と妻の母のやりとりでした。

 

同じ経験でも苦しみは違う

出産後の女性が自分の母親とケンカをすることって意外と多いみたいですね。我が家もありました。

 

育児のやり方に細かく口を出されたり。

「昔はもっと不便だった」と愚痴を言われたり。

 

出産を「わかっている」はずの母親の言葉や行動に妻はイライラを募らせていました。

 

同じ経験をしていても、苦しみを理解できるかどうかはまた別の話だということです。

 

考えてみれば生理、出産、授乳という同じ経験でも女性によって難易度は大きく変わります。

 

生理痛の重さ。

つわりのひどさ。

母乳の出やすさ。

 

それぞれ全く苦労がないレベルの人もいれば、生活が困難になるレベルで苦しむ人もいます。女性のことは女性同士で比較するしかないけれど、そこが苦しむ原因になってしまうこともあります。

 

自分が現在苦しんでいることに対して「私は乗り越えたよ」と言われてしまうのは辛いことです。本人の苦しみは本人のものでしかないのだから。

 

そんな時こそ何も「わからない」男の出番です。

 

わからないから比べない

男は生理の辛さも、出産の不安も、授乳のしんどさも経験することができません。

 

経験してないからこそ、他の人と比べたりせず、その人自身の苦しみに向き合うことができるはずです。

 

愚痴を聞くだけでもいい。

サンドバックと化し、怒りのはけ口になるのもいいでしょう。

「他と比べる必要なんてない」という言葉をかけることもできます。

 

何もわからないからこそ、できることというのは存在するはずです。

 

男女はその性質が違うからこそ、助け合えるのです。綺麗事かもしれませんが、違うところは違うままで、認め合って補い合っていければハッピーなんじゃないかな、と。

 

本日はこれにて。

ありがとうございました。